君の世界を通り過ぎて
前書き

物語の始まりはいつもこうだ——思いがけず巡りあい、不意をつかれる。
物語の終わりはいつもこうだ——ふたつの花が別々に咲き、それぞれ遠く離れてしまう。


思い出は消し去れないから、ただ静かに積み重なっていくばかり。
歳月は君を賭けのテーブルへ連れていくのに、よりによって賭け金は自分自身。

君が捨てたあの歌のなかに、僕は住んでいる。すべての音符を抱きしめて。
君が捨てたあの本のなかに、僕は眠っている。表紙と裏表紙が、僕の昼も夜も、残らずはさんでいる。

古いフィルムは、たとえ頭のなかでもう一度映せたとしても、ページが抜け落ちていて、始まりも終わりもわからない。
ほんとうは胸に溢れるほど話したいことがあるのに、向かいにいるのは、もうそれを話すべき相手ではない。
君の世界を通り過ぎて、山を越え嶺を越え、ようやく最後のページをめくった。
君のような人がいて、夜ごと静かに眠りにつけたらいいのに。
May people dream of stars
that never fall when they are asleep,
and may people think of poems
they read when they are drunk.
(どうか人々が、眠るとき決して流れ落ちない星を夢見ますように。
どうか人々が、酔いしれたときに読んだ詩を思い出しますように。)
眠る前の物語を読んだことがある人ならわかるだろう。
これは雑多でとりとめのない本で、まるで友だちが真夜中に、自分が越えてきた数知れぬ山や川のことを語りかけてくるようなものだ。
その友だちというのが、ほかでもない、私だ。
物語のなかでは、さまざまな主人公たちがあちこちに顔を出し、ふり返ったときにはもう姿を消している。
そこにあるのは、たくさんの文章だ。
温かいもの、晴れやかなもの、ひとりぼっちのもの、めちゃくちゃなもの、退屈なもの、わけのわからないもの、
さらには口からでまかせのほら話まで。
一日に数編ずつ読んでもいいし、自分の気分に合わせて読んでもいい。
寝つけずに何度も寝返りを打つとき、慰めがほしいとき、
列車を待っているとき、朝だらだらと布団から出られないとき、
食後に眠たくなったとき、そんなとき、きっとちょうどいい一篇が見つかるはずだ。
私は一冊の本を書きたいと思った。
君が枕もとに置いたり、本棚にしまったり、あるいは一番大切な人に贈ったりできる本を。
これこそが、その本だと思う。
もちろん、もし読み終えて、たった一ページも価値がなかったと感じたら、
ゴミ箱に捨ててくれてもまったくかまわない。
弁償なんてできないのだから。
君の世界を通り過ぎて、どうぞ適当にどこか一篇を開いてみてほしい。それで十分だ。
序
私はいくつかの人の世界を通り過ぎ、いくつかの人が私の世界を通り過ぎていった。
ぽつりぽつりと、眠る前の物語をたくさん書いてきた。
どれも真夜中に書き上げたものだ。
それらは駅のホームに預けた荷物のようなもので、あるものは自分の、あるものは友だちのものだ。
引き取る必要はなく、やがて溶けて、旅路の足跡に変わっていく。
でも、それらはとても美しいと思う。
ひとたび溶けてしまえば、はてしない青空と白い雲と見分けがつかなくなる。
まるで栞のように、時間のすきまに挟んでおくのにふさわしく、ときどきふり返って眺めれば、それでいい。
実のところ、この本のなかには、短編とすら呼べず、せいぜい走り書きの落書きにすぎないものもある。
けれど私は知っている。
それらは、好きになってくれた人に、ほんの少しの力を——自分自身と向きあうための、ほんの少しの力を与えられるということを。
なぜなら、過ぎ去った歳月のなかで、私たちはみな、誰かの世界のすべてを手に入れたいと願いながら、通り過ぎることしかできなかったのだから。
街中に降りしきる雨、にじんだ痕跡。
ぼうっと立ち尽くし、一歩も先へ進みたくない。
たとえ待ち続けて、一つひとつの曲がり角を心をこめて見張っていても、最後には、相手はもうここにはいないと気づく。
そんなことは、ちっとも怖くない。すべての人の強さは、柔らかさが生んだ繭なのだ。
君に伝えたい。
少し座って、一杯飲んで、あるいは風景を眺めて、それからまた進み続けよう。
私たちは幸せにならなければならないという名目のもとに。
もし、君の世界を通り過ぎたのなら、私は終点で君を待っている。
第一夜 初恋 君の世界を通り過ぎて
君の世界を通り過ぎて
一人の記憶は一つの都市のようなものだ。
時間がすべての建築物を腐食し、
高層ビルも道路もすべて砂に変えていく。
もし君が前へ進まなければ、
砂に埋もれてしまう。
だから僕たちは涙でぐしょぐしょになりながら、何度も振り返り、
それでも前へ進むしかない。
1.1
音楽を聴くことは、個人の時代の記録のようなものだ。
君が捨てた古びたパソコンのなかで、ライブラリのなかで繰り返し流れていたあの曲は、たぶん一番冷たく暗い時間に寄り添ってくれていたはずだ。
2004年、長距離バスで北京から南京に戻り、青島路の地下室を借りた。
何もかも嫌になって、もう二度と働きたくなかった。中古のノートパソコンはスピーカーがひどく、どの歌手も声が割れていた。
僕は毎日それを抱えてトランプゲームに興じ、朝夕の区別もなく、十数時間も打ち続けた。
だが、あまりに下手で、めちゃくちゃな打ち方しかできず、唯一の取り柄はタイピングが速いことだけ。
おまけに自分なりの戦術まで編み出し、「無駄話流」と名付けた。
カードが配られるとすぐ、僕はチャット欄でこう話しかける。
「紅蓮天使(せきれんてんし)さん、お久しぶりです、伯父さまはお元気ですか?」
「天使って白いものじゃないの?外に出るときに紅蓮なんて持ってると煮えちゃうよ、若いくせに、生きるのに気をつけなきゃ。」
「あれ、毛茸々(けむくじゃら)って名前なんだ、どのへんが毛茸々なの?」
「毛茸々さんこんにちは、お願い助けてくれませんか、僕ひざまずいて打ってるんで、ちょっと受けてもらえませんか、膝がパンパンに腫れてて……」
すると多くのプレイヤーが我慢できず、バチバチとむちゃくちゃにカードを切り、「てめえ、ふざけんな!」と一言罵って退室していく。
こうして僕はタイピングでトランプに勝ち、勝率75%を稼いだ。
やがてそれが通用しなくなって、僕はまた新しい手を考えた。
今度はチャット欄で物語を語り始めたのだ。
システムがカードを配ると、僕は打つ。
「昔々、ある神父がいました。
彼の住む村で一番美しい娘は小芳(シャオファン)といいました。突然小芳は妊娠し、誰の子か死んでも言おうとしませんでした。
村人たちは彼女を激しく殴り、豚かごに沈めようとしました。
小芳は泣きながら、子供は神父の子だと言いました。
逆上した村人たちは教会へなだれ込み、神父は否定もせず、両足を折られるままに任せました。
それから二十年が経ち、奇跡が起きたのです。」
それから僕は打牌を始める。
チャット欄は大混乱で、他の三人が叫ぶ。
「ぶっ殺すぞ、どんな奇跡が起きたんだよ!」
「ガキは結局誰の子なんだ、神父は狂ったのか?!」
「てめえ、もうやめる、話をちゃんと最後まで言えよ!」
地道に努力した結果、僕の勝率は再び80%にまで跳ね上がった。
「無駄話流」の名は鳴り響き、弟子入りを志願する者も多数現れた。
だが勝率を見るとみな50%以下で、称号はまだ全員「裸足」だったので、冷笑して断った。
得意になっていたそんなとき、ルームシェアしている茅十八(マオシーバー)が突然台頭し、独学で腕を上げてきたのだ。
このクソ野郎はまったく厚かましく、彼が編み出したのは無駄話流の一派、「呪詛術」だった。たとえば、みんなが普通に打牌していると、茅十八はこう書き込む。
「大慈大悲、衆生を済度する観世音菩薩よ、聖なる露は世の人々を照らし、明るい眼差しは平安を呼び寄せる。
もし自分の両親の健康を願うなら、この言葉をそのまま繰り返せ。必ずやれ。さもなくば外に出て車に轢かれて死ね。」
想像できた。対戦相手のパソコンの前の表情が。打牌をしているだけなのに生命の危険が及ぶなど、予想外だったに違いない。
当時はまだ強制転送が流行っていなかったので、彼がこういうことをやると、牌の部屋全体がてんやわんやになり、誰も計算に集中できなくなる。
一局が終わらないうちに、彼は次々と太上老君、エホバ、聖母マリア、招財童子、唐の明皇、金毛獅子王の謝遜(シャーシュン)、人魚姫までを召喚していた……
僕は負けた。
茅十八という男は、普段は物静かで無口であり、電話すら基本的に三語しか発しない。
「もしもし。うん。じゃあ。」彼が無駄話流の宗師になったことに、僕は愕然とした。
1.2
茅十八との友情はその後もずっと続き、2009年には一緒に車で稲城亜丁(ダオチェン・ヤーディン)へ旅をした。
彼は恋人の荔枝(ライチ)を連れて、沖古寺(チョンクー寺)に着いた。
景色はまるで絵巻のようで、幾重にも重なる色彩が押し寄せてきた。
茅十八の企みを知っていた僕は、彼が緊張で震えているのを見ていた。
彼は荔枝の前にひざまずいて言った。「荔枝、結婚してくれますか。」
たった一言、句読点を過ぎたあたりで、声が詰まった。
荔枝は言った。「プロポーズなのに、どうしてもっと色々言わないの。本当に言葉が少なすぎるわね。」
茅十八はすすり泣きながら繰り返した。「荔枝、結婚してくれますか。」
荔枝は言った。「いいよ。」
茅十八が荔枝に指輪をはめ、荔枝はこっそり涙をぬぐった。
僕と他の友達二人は大軍のふりをして、声がかれるまで叫び、転げ回って歓声をあげた。
2010年の荔枝の誕生日に、茅十八が贈ったのはカーナビゲーションだった。
みんな驚いた。あまりに変な贈り物で、何か意味があるのだろうか、と。
茅十八は照れながら言った。一ヶ月以上かけて、ナビの音声ファイルを全部入れ替えたのだ、と。僕は大興奮で、荔枝に無理やり運転させ、茅十八の研究成果を一緒に確かめることにした。
試してみて、地下室での日々と、茅十八が無駄話流を制覇した輝かしい戦績を、僕は完全に思い出した。
ドライブのあいだ、ナビは南京訛りで無駄話をまくしたてる。「やっべえ、前にカメラがある。こりゃどうにもならんわ、行きたい場所が見つからん。兄ちゃん起きとる?この住所おかしいやろ?」
突然赤信号で止まると、ナビの中の茅十八は真面目くさって言った。「サイドブレーキちゃんと引いた?万一ずり下がったらどうする。クラクション鳴らすなよ、鳴らしてどうする。前の車がヤバい奴だったらすぐにケンカ売ってくるぞ、お前じゃ勝てんのだから、おとなしく待ってればええやろ、お、鳴らしてないか、なら俺の言ったことはなしだ……」
みんなお腹を抱えて笑い、荔枝はこめかみを押さえながら言った。「普段あんなに黙ってるのに、録音だとどうしてこんなにクドクドなの?」
茅十八は言った。「この前稲城に行ったとき、ナビが固すぎて人間味がないって文句言っただろ。だから改造したんだ。これで運転も退屈じゃなくなるよ。」
荔枝がナビを手に取り、適当にボタンを押すと、ナビが金切り声をあげた。「まさか俺を消そうってんじゃねえだろうな、俺は何も悪いことしてねえぞ。消せ、消してみろ、この俺がナビやめて、ダイオードでラジオでも作るからな、かかってこいや……」
全員が感服した。
1.3
2011年、茅十八と荔枝は別れた。
荔枝は茅十八からもらったものを全部箱に詰めて、僕のバーに届けにきた。
僕は言った。「茅十八はまだ来てない、途中だ。待つか?」
言った。「彼、君に話したいことがあるんだ。」
荔枝は言った。「もういいの。彼はずっとあまり話さなかったから。」
僕は言った。「荔枝、本当にこれでいいのか?」
荔枝は入口まで歩き、振り返らずに言った。「私達、合わないの。」
僕は言った。「元気で。」
荔枝は言った。「元気で。」
その日、茅十八は現れず、電話しても出なかった。電子街にある彼のカウンターを訪ねると、隣の店主が、彼は何日も商売に来ていないと言った。
しばらくして、小さな居酒屋で偶然出くわした。彼はかなり酔っていて、顔は真っ赤、目も開けられないほどで、僕に尋ねた。「張嘉佳、砂の城に行ったことあるか?」
僕は少し考えた。「敦煌のことか?」
彼は首を振った。「違うんだ。奇妙な街で、なかには砂しかない。」
僕は言った。「飲みすぎだ。」
彼はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
それが、彼がこの街で飲んだ最後の一杯だった。
1.4
そういうわけで、荔枝の段ボール箱は僕のバーに置いたまま、茅十八はどうしても取りに来る勇気が出なかった。
ある日、店長を車で家まで送ったとき、彼女がナビを取り出して遊んでいた。見覚えがあって見ていると、店長は口をとがらせて言った。「ごちゃごちゃしてたら見つけたの。」
彼女が電源を入れると、ナビは茅十八の声を発した。「俺は電池がねえんだよ、いじってんじゃねえ。」
店長は飛び上がって腰を抜かし、「お化けだ!」と言って頭を抱えて逃げ惑った。
茅十八に電話をかけた。「おい、荷物はどうするんだ?」
茅十八はしばらく黙ってから言った。「いらない。明日、実家の泰州に帰る。」
僕は言った。「帰ってどうするんだ?」
茅十八は言った。「新都市の商業街に、実家が店を借りてくれたんだ。携帯電話を売る。」
急に胸が痛くなった。慰めるべきか、励ますべきかわからず、電話を切ろうとしたとき、茅十八が言った。「携帯電話を売るのも悪くないよ。もし若くて美しい娘さんにでも出会えたら、それが縁になって、人生は満たされる。」
彼は小さく笑った。そのかすかな笑い声には、言葉にできない疲れが滲んでいた。
僕は言った。「がんばれよ。」
茅十八は言った。「元気で。」
僕は言った。「元気で。」
1.5
2012年8月、気分は最悪で、車を西へ走らせ、成都でたらふく酒を飲み、翌日ふと思い立って、稲城に行ってみようと思った。
一人だったけれど、ナビをつけて、道すがら茅十八のくどくど話を聞いた。しばらくすると「そんなに飛ばして死ぬ気か、溝に落ちても俺は押してやれねえぞ」、またしばらくすると「百メートル先左折だ、ちくしょう、もっとゆっくり行け」などと聞こえ、それなりに寂しくはなかった。
茅十八は本当に天才だと思った。バッテリー警告の赤ランプがつくと、ナビは狂ったように叫んだ。「俺は電池がねえ、俺は電池がねえんだ、てめえ、俺に電気をくれ!」
思わず笑いそうになり、慌てて電源をつないだ。
折多山(チェードゥオシャン)、跑馬山(パオマーシャン)、海子山(ハイツーシャン)、二郎山(アルランシャン)を越え、牛奶海(ニュウナイハイ)と五色海(ウーサーハイ)を見るには、自分の足で登らなければならない。さすがに疲れたので、ナビを持ったまま歩き、沖古寺で立ち止まった。緑の草、青い水、赤い葉、白い山。この秋の童話のような風景を、ぼうっと見つめていた。
ナビが突然、「プッ」と鳴った。
その声はもはや方言ではなく、きちんとした標準語だった。茅十八が懸命に話した、僕たちが笑ったあのたどたどしい標準語だった。
最初の一言から、僕のナビを持つ手は、震えが止まらなかった。
茅十八は言った。
「荔枝、また稲城に来たのか? ここは沖古寺、俺がプロポーズした場所だ。この目的地に着いたら、お前にこう言うつもりだった。―空が一番青いから、お前は天使なんだ。お前が俺の世界に降り立って、喜怒哀楽が四季に代わった。微笑みが昼で、涙が夜だ。」
「俺は一人でいるのが好きだった。お前が俺の心の中に入ってくるまでは。だから、ただお前と一緒にいたい。一人でいるのは好きじゃない。」
「お前のすべてを分かち合いたい。お前のすべてを抱きしめたい。一生お前のそばにいたい。愛してる。抗えない。ただお前を愛してる。」
「荔枝、お前がこの言葉を聞いてるのは、俺たちの結婚一周年のときかな、それとも赤ん坊を連れてドライブに来たときかな。」
「あの日の空の下に立って、今日の自分と一緒に、お前に言う。荔枝、愛してる。」
ナビの中の茅十八の声を聞きながら、僕の目から涙が溢れ出た。
あの日、雲の影がきらめく斜面で、果てしなく柔らかな草地で、茅十八は少女の前に跪いて言った。「荔枝、愛してる。」
今日、雲の影がきらめく斜面で、果てしなく柔らかな草地で、茅十八の影が少女の影の前に跪いて言う。「荔枝、愛してる。」
ここがどんなに美しくても、茅十八と荔枝にとっては、もうとっくに砂の城になってしまったのだ。
一人の記憶は一つの都市のようなものだ。時間がすべての建築物を腐食し、高層ビルも道路もすべて砂に変えていく。もし君が前へ進まなければ、砂に埋もれてしまう。
砂の城は、どこかにあるわけじゃない。ただ、君の記憶のなかにあるだけだ。
たまに夢のなかで砂の城に戻ると、あの街灯や足跡が視界のなかで次第に明瞭になっていく。しかし君は触れることができない。いったん両手を差し入れてしまうと、街全体が轟音とともに崩れ去り、君の笑顔も、青い海と空も、僕たちにまつわるすべての影も、埋め尽くしてしまう。
もし君が前へ進まなければ、砂に埋もれてしまう。だから僕たちは涙でぐしょぐしょになりながら、何度も振り返り、それでも前へ進むしかない。
たとえその前へ進むことが、君とすれ違うことだとしても。
僕は君たちの世界を通り過ぎた。でも君たちもまた、互いの世界を通り過ぎただけだ。
たとえ孤独が音もなくても、僕たちはやはり皆、無駄話流だ。すべてを語り終えて、沈黙と旧友になる。
姉
四季にはいつも一度の枯凋がある。結果として無数の枯凋がある。
愛し合うことにはいつも一度の別離がある。結果として無数の別離がある。
2.1
大学に入って初めて、この世に五百元を超える服があると知った。大学を卒業して初めて、この世にブランドもののパンツがあると知った。
中学生のとき、こっそり二十元の半ズボンを買ったら、家族全員に「尋問」されたことがある。
かつては、ジーンズウェストなんかがブランドで、すごくイケてると思っていた。ある日ぶらついていてアディダスやナイキを見つけ、仰天した。これは金の糸でできているのかと。
その日から、強盗・殺人・放火の考えが、毎日頭をよぎるようになった。
すべては時には勝てない。
働き始めてからも、ずっとこう思い続けていた。女は、いい化粧品を使い、いい服を着るべきだ。どれだけ金をかけても惜しくない、と。
だから僕は相変わらず五百元を超えない服を着て、ブランドではないパンツをはき、金を稼いで女に一番いい化粧品と一番いい服を買ってやれるようにと願っていた。
後になってわかったのは、女はいい化粧品も見つけられるし、いい服も見つけられるが、いい男だけはどうしても見つけられないということだ。
そして僕は金を稼いでも、使う相手がいなかった。
金を稼げるようになると、だんだんいい男ではなくなっていく。
いい男は、たいてい一番いい化粧品も、一番いい服も買ってやれないものだ。
友人は身近な女を見下し、あれこれケチをつける。
僕は言った。「お前は優秀な犬じゃないくせに、どうしていい肉を食おうってんだ?」
友人「男は犬じゃないし、女は肉じゃない。」
僕「女は確かに肉じゃない。でもお前は間違いなく犬だ。」
友人「なぜだ?」
僕「さあな、適当に侮辱してみただけだ。」
その後、友人は結婚した。
僕はグッチ(イタリアのファッションブランド)を彼の奥さんに贈った。
グッチは奥さんのものだが、ベランダいっぱいに干してある服も、ズボンも、タオルも、シーツも、モップも、みんな奥さんのものだ。
僕は友人に言った。「これからは奥さんが欲しがるものは、できるだけ買ってやれ。たとえ彼女が要らないと言っても、こっそり買ってやれ。」
友人が尋ねた。「なぜだ?」
僕は言った。「お前んちのベランダには、服も、ズボンも、タオルも、シーツも、モップも、いっぱいに干してある。彼女がベランダで費やすその一分一分の青春を、お前は全部、償ってやらなきゃならないんだ。」
半年後、友人は離婚した。酔っ払って、テーブルに突っ伏してつぶやいた。「なんで離婚なんかしたんだろうな。」
僕は言った。「結んだから離れるんだ。誰が結ばせたんだよ。」
友人「俺たち、ずっと何か間違えてたのかな。」
僕「うん、たぶんな。」
男は犬じゃないし、女は肉でもない。
生活には、グッチや、ベランダいっぱいの服、ズボン、タオル、シーツ、モップのほかにも、大切なものがある。
なにかって?
そりゃあいろいろだ。たとえば、闘地主(カードゲーム)、扎金花(賭けトランプ)、夜食を食いに行くとか、そんなことだ。
2.2
テレビ番組の制作会社で働いていたとき、ある女性ディレクターがいた。
僕は彼女に尋ねた。「男が一千万持っていて、君に百万やるのと、男が十万持っていて、君に十万やるのと、どっちが大事?」
彼女は言った。「百万。」
僕は言った。「まさか、全額のほうが十分の一より劣るっていうのか?」
彼女はうなずいた。
翌日、その女性ディレクターが急に慌てて僕のところに来て言った。「昨日、一晩中考えたんだけど、十万のほうが大事だと思う。」
僕は興味を引かれた。「本当に一晩中考えたのか?」
彼女はうなずいた。「うん。」
もし本当に一晩中考えたのなら、君には心配事が多すぎるということだ。
心配事があるのなら、どうしてまたわざわざそんな問題を考える必要がある。
百万だろうと十万だろうと、自分で稼いだ一万には敵わない。
百万あったら、君は一塊の肉だ。
十万だったら、君は肉にありつけない。
一万あったら、君はもう一晩中考える必要はない。
2.3
男女の問題について、ずっと昔、僕は姉に尋ねたことがある。
僕「姉ちゃん、淫蕩ってどういう意味?」
姉「……情熱的で奔放、活発で明朗なことよ。」
僕「姉ちゃんって本当に淫蕩だね。」
「パシッ。」僕の左頬は腫れ上がった。
僕「姉ちゃん、下賤ってどういう意味?」
姉「……謙虚で礼儀正しく、勤勉で節約することよ。」
僕「姉ちゃんって本当に下賤だね。」
「パシッ。」僕の右頬は腫れ上がった。
僕「姉ちゃん、愛情ってどういう意味?」
姉「……淫蕩プラス下賤ってことよ。」
僕「姉ちゃんはちっとも愛情じゃないね。」
しばらくして、姉は「うん」と言った。
十年が過ぎて、僕はやっとわかった。なぜあのとき、突然、彼女の目に涙がにじんだのかを。
2.4
十年後。
僕は書き物机の前に座り、目に涙をためていた。ぼうっとして、頭は真っ白で、息もできないほど胸が痛んだ。
姉がやってきて、励ました。「若い衆、胸を張りなさい。」
僕「俺たち、どっちも胸なんてないだろ、張ってどうする。」
姉は意外にも怒らず、髪を振り払って言った。「麺でも茹でてちょうだい。忙しければ、くだらないこと考えなくてすむから。」
僕はうなだれて言った。「なに食うんだよ、舌で歯ぐきでもなめてろ。」
「パシッ、パシッ。」僕は続けざまに二発、横っ面を張られた。
「わかったわかった、麺を茹でるよ、茹でりゃいいんだろ。」
しばらくばたばたやって、彼女に麺を差し出した。姉はにこにこと丼を持って、僕を見ていた。
彼女は何口か食べると、突然、自室に戻っていった。
三年後、僕は彼女の日記を見た。
「弟が作った麺には、塩さえ入っていなかった。よほどつらいことがなければ、こんなまずい麺は作れないはずだ。私も、とてもつらい。」
突然、口元が少ししょっぱくなった。
思うに、もしこの涙が時を超えて、三年前に戻り、あの丼の中に落ちていたなら、姉は麺が味気ないとは決して思わなかっただろう。そうすれば、彼女がつらい思いをすることもなかったのだ。
2.5
「泥棒!」通りから凄まじい金切り声があがった。
僕と姉は互いに押し付け合った。
「弟、行け!五講四美(道徳キャンペーン)がわかってるのか?」
「姉ちゃんこそ行け!三従四徳(儒教の婦徳)がわかってるのか?」
「なにぐずぐずしてる、泥棒捕りは宴会じゃないんだぞ、行け!」
「わかったよ、行く!」
二人は素早く前へ飛び出した。道の半ばまで来て、僕は左の路地へ、姉は右の路地へと曲がった。
二人は路地の入り口に隠れてお互いににらみ合った。泥棒は二人の間を猛スピードで走り抜けていった。
ふう、ぶつかるところだった。二人とも同時に胸をなでおろした。
そのとき、泥棒のすぐ後ろを、もう一人、猛烈な勢いで走り抜けていった。
見ると……お袋だった。
お袋は追いかけながら叫んでいる。「泥棒ーっ!」
二人は必死にお袋を取り押さえた。泥棒は取り逃がした……。家に帰ってから、一人ずつお袋に五百元の罰金を払わされた。
翌朝、目を覚ますと、姉は枕の下に五百元を見つけた。
僕も枕の下に五百元、そして目覚まし時計の下にも五百元を見つけた。
僕はずっとわからなかった。泥棒を一人取り逃がしただけで、なぜ僕は空から五百元も儲けたのか。
四則混合計算を習ってから、僕はようやく計算でその理屈を理解した。
ずっと後になって、僕は思った。もしもう一度、あの五百元を姉の枕の下に戻すことができるなら、たとえ泥棒が刃物を持っていても、僕は飛び出していっただろうと。
うん、そうなんだ。
2.6
子どもの頃、うちには自転車が一台しかなかった。28インチの大杠、永久(ヤンジュウ)牌。
父さんが誕生日に乗っていいと言った。
僕は天を仰いで大笑いした。「わははは、父さん、ついに姉ちゃんだけじゃなくて僕のことが大好きになったんだね。」
父さんが言った。「姉ちゃんはとっくに乗った後だよ。」
数年後、姉は自分の自転車を持つようになった。毎日、彼女が自転車で僕を学校に送ってくれた。
僕「姉ちゃん、僕が漕いで乗せてあげるよ。」
姉「消えろ。」
僕「ちきしょう、俺は力が有り余ってしょうがねえんだ。」
姉「消えろ。」
そんな返事をされて、僕は腹が立ち、自転車の後ろでゴロゴロ転がり回った。
「きゃあ!」「ドン!」二人は小さな橋から転げ落ちた。
姉「うううう、もう二度と乗せてあげない。」
僕「うううう、姉ちゃんの運転の腕前はアファンと同じだ。」
姉「アファンって誰よ。」
僕「アファンはおじさんの家の飼い犬。」
姉「お前は大バカだ。」
僕「姉ちゃんこそメスの大バカだ。」
そんなふうに長いこと喧嘩し、そのせいで直接、学校に遅刻した。
また数年後、僕たちは大都市に住むおじさんの家に遊びに行った。
姉はまた自転車で僕を乗せた。誰かが「降りろ」と呼ぶ。わっ、交通整理のお巡りさんだ。
僕「お巡りさん、彼女を捕まえてください。この人が僕を乗せたんです。僕は子どもだから捕まえちゃダメ。」
姉「お巡りさん、彼を捕まえてください。彼が私の自転車に乗りたがったんです。私は中学生だから捕まえちゃダメ。」
お巡りさんは冷や汗。
僕「お巡りさん、彼女を捕まえて。僕は彼女を知りません。」
姉「お巡りさん、彼を捕まえて。この子は道端で拾ったんです。」
僕「拾っただって、ふざけんな、面の皮が厚いにもほどがある。」
姉「厚くてけっこう、もうすぐ罰金だ。面の皮なんてかまってられるか。」
お巡りさん「もう行きなさい……これからは人を乗せて走っちゃいかんよ。」
姉がとうとう他省の大学に行くことになり、あの自転車を僕に残していった。僕はとても嬉しかった。
一晩中、眠れなかった。
家族全員で姉を見送った。
姉が汽車に乗った。
突然、僕の目から涙がぼろぼろと流れ出し、流しながら汽車を追いかけた。
姉ちゃん、自転車返すから、行かないでよ。
姉は車窓越しに何か叫んでいる。
僕には聞こえなかったが、口の動きでわかった。
泣かないで。
僕は必死に追いかけ、手の甲で涙をぬぐい、必死に叫んだ。「犬だけが泣くんだ、俺は泣いてない!」
そのときから、僕は汽車の汽笛が一番怖くなった。
汽笛が聞こえるのは、別れを意味するからだ。
姉を見送ったあと、僕は自転車で学校へ行き、たくさんのクラスメートに笑われた。
なぜなら、それは女物の自転車だったからだ。
みんなは僕のことをオカマだとか、女々しいとか言った。
それでも僕は乗り続けた。姉が自分のそばにいるような気がしたからだ。
今でも、物置部屋に行って、この自転車を見ると、やっぱり涙が止まらなくなる。そして小声で言う。「泣いてたまるか、泣いてたまるかよ。」
2.7
1988年、おじが僕に、それまで見たこともないものをくれた。切手年鑑だ。
僕は激怒した。「姉ちゃん、おじはケチすぎるよ。僕にくれたのは紙切れの束だ。」
姉「じゃあ、十元で私に売って。」
僕「ずるいにもほどがある!僕をバカだと思ってるの。この紙の束の後ろには定価が書いてある。百九十八元だ。」
姉「紙切れはどんどん価値がなくなるのよ。今売らないと、来年は一元にしかならない。」
僕「どうして?」
姉「ここに書いてあるのが見えない?『価値保証年鑑、永久保存版』って。価値保証って何かわかる?つまり、どんどん価値がなくなるってことよ。売るの?売らないの?」
僕「……二十元。」
姉「交渉成立。」
そして毎年、切手年鑑を二十元で姉に売るようになった。
1992年まで売り続け、四冊で計八十元。お年玉はすべて没収されたので、この八十元は僕の、この上なく大切なへそくりになった。そしてこの年から、おじはくれなくなった。ケチ野郎。
その年、姉は他省の大学に行った。
翌日には旅立つ。僕は一晩中ベッドで寝返りを打ち、十六枚の五元札を、姉に一枚、自分に一枚と、一晩中、数えていた。
ずっと考えていた。彼女は外地に行って、いじめられないだろうか?ああ、昔彼女がいじめられたときは、僕に二角くれて、相手を罵らせていたっけ。
じゃあ、あんな遠くに行くなら、きっとお金が必要だ。
うん、十元やろう。それだけあれば、人に頼んで罵ってもらうことが……五十回できる。
もし誰かに殴られたらどうしよう?前に叔母さんに殴られたとき、五角やると言ったのに、僕は彼女のためにやり返すのを嫌がった。外の人間なら、きっともっと高いに違いない!
用心棒を頼むのが一回一元だとして、二十元やろう。
僕は胸を痛めながら、金が二つの束に分かれるのを見つめた。しかも彼女の束が僕のよりだんだん高くなっていく。
計算しているうちに眠ってしまった。
最後に僕が姉の鞄に入れたのは、八十元だった。
疫病神の姉を見送って、僕は人も金も失くし、家に帰って、急にがっかりして、布団にくるまって寝てしまった。
布団のなかで、僕は四冊の年鑑を見つけた。
一冊一冊に、二十元が挟まっていた。
僕は布団にくるまって、泣きながら罵った。姉はおじと同じくらいケチだ。一冊に二十元しか挟んでないなんて。人が行ってしまうなら、少なくとも五十元挟むべきだろう?
今日に至るまで、この二十元が挟まった年鑑、四冊全部が、まだ僕の本棚にある。
ある日、僕は埃を拭いていて、突然、1988年のものを開いた。裏表紙に金の箔押しの小さな字で、定価が百九十八元と書いてあった。
「じゃあ、十元で私に売って。」
「ずるいにもほどがある!僕をバカだと思ってるの。この紙の束の後ろには定価が書いてある。百九十八元だ。」
「紙切れはどんどん価値がなくなるのよ。今売らないと、来年は一元にしかならない。」
「どうして?」
「ここに書いてあるのが見えない?『価値保証年鑑、永久保存版』って。価値保証って何かわかる?つまり、どんどん価値がなくなるってことよ。売るの?売らないの?」
涙がポタポタと落ちて、百九十八の数字を、ひどくぼやけさせた。
2.8
姉「悪い人だけがタバコを吸うの。」
僕「じゃあ、おじさんは悪い人だ。」
姉「教授になってから吸えば、いい人よ。」
僕「姉ちゃんに論理なんてないよ。対数関数が計算できて、風雅頌(『詩経』の分類)がわかって、昨日はヘーゲルを格外黒(ヘーゲルをもじった冗談)って言ってた。姉ちゃんは論理大王だね。」
何日も喧嘩して、姉は大学に戻った。
僕は引き出しのなかに新聞紙に包まれたカートンの煙草を見つけた。中身は中華だった。
姉の走り書きが添えてあった。どうしても吸うなら、せめていいものを吸って。少なくとも体への害が少しは少ないから。
僕は今でも覚えている。それは『揚子晚報』の1997年5月22日付けだった。
その後、僕は姜微(ジャン・ウェイ)という娘に出会った。
姜微「どんな煙草が好き?」
僕「いいやつが好きだよ。」
姜微「どうして?」
僕「体への害が少し少ないから。」
冬休みが終わって、彼女は僕に一箱の煙草を持ってきてくれた。一箱の中華。中には十一本の煙草しか入っていなかった。四本の中華、四本の玉溪、三本の蘇煙。
ないよりはましだ。
僕「どこで手に入れたんだ?」
姜微「お正月に家で親戚に配ってたのを、私がこっそり一本ずつ集めたの。」
僕「冬休み二十日間で、十一本しか集まらなかったのか?」
姜微「あと七本は、パパに見つかって没収されちゃった。」
その後、姜微は姿を消した。『揚子晚報』は僕の本棚にある。その『揚子晚報』の間に、僕は中華煙草の空き箱を挟んでいる。
この二人の女だけが、少しましな煙草を吸えば、体への害が少しは少なくなると思ってくれた。
突然、Winamp(音楽プレーヤー)から『電台情歌(ラジオのラブソング)』が流れてくるのが聞こえた。
ある美しい女が手を伸ばして天上の月を消そうとしている。ある泣いている女が、まだ架けられていない橋を思い続けている。ここより一炊の夢、一時の荒涼、痛みは自らを止められず、手相は折れ断たれる。
ここは痛みの遍満するメロディーだ。
姉はもう二度と痛むことはない。姜微がどこにいるのかはわからない。彼女が僕よりも幸せでありますように。そして永遠に幸せでありますように。
2.9
姉が僕にタイピングを教えるのにかかった時間は半年だった。タイピング講座は、1998年8月27日に授業開始。9月1日に彼女が大学に戻り、自動的に通信教育に切り替わった。
僕「Aの後ろはBだろ、なんでSなんだ?Bの後ろはCだろ、なんでNなんだ?」
姉「Christopher(タイプライターの発明者)が決めたの。私には関係ないわ。」
僕「アルファベットって乱倫だよな。叔母と叔父がくっついてるなんて、こいつの家系図はギリシャ神話と同じくらい無茶苦茶だ。」
姉「お前、学ぶ気があるの?」
僕「アルファベットは乱倫すぎる!おれの目を汚してる!」
姉「お前にキーボードの配列を覚えさせるのが、なんで乱倫になるのよ。」
僕「己の欲せざるところは人に施すなかれ。もし俺がお前の胸を触ったら、姉ちゃんは絶対に包丁で俺を殺すだろう。」
「パシッ、パシッ。」僕の左頬も右頬も、全部腫れ上がった。
姉「タイピングを覚えれば、あなたのためになるのよ。女の子を口説けるんだから。」
僕「なに口説くんだよ、金を貯めて裏ビデオでも買ったほうがましだ。」
姉「見て、見て。これがQQ(インスタントメッセンジャー)っていうの。遠くにいる女の子にブラを外させることができるのよ。」
僕「トリンプの?」
姉「覚えれば、自分で聞けるようになるでしょ。」
そして姉は僕のためにQQのアカウントを取ってくれ、二人で各地の女の子を検索した。姉の指導のもと、僕は北京の女の子を一人、リストに加えた。IDは無花果(イチジク)。
僕は少し興味が湧いた。
一言、送信した。Girl, fuckfuck, ハハ。
なんの反応もない。
もう一言、送信した。Dogsun, please, fuck!
なんの反応もない。
僕はかっとなって、今度は一気に三言、送信した。MBD, MBD, MBD。
姉がかっとなった。相手のアイコンは灰色でしょ、オフラインってことよ、と言った。
オフラインで、何をQるってんだ、クソッタレ。
僕はすぐに興味を失った。
姉は僕を誘惑して、タイピングを覚えれば、流暢な言葉で彼女を誘惑できると言った。これは僕に断固として拒否された。正直な若者というものは、きっと僕と同じように拒否するはずだ。
こんな乱倫のアルファベットは、ろくなものじゃない。
1998年9月1日、姉は大学に戻り、パソコンを持って行ってしまった。
僕にとって唯一の心残りは、『仙剣奇侠伝』をクリアしていなかったことだ。月如(ユエルー)が鎮妖塔で死んだところだった。
でも、姉がそんなにケチなはずがないだろう?僕は姉の部屋をひっくり返し始めた。
彼女の部屋で見つけたものは以下の通り。席絹(シー・ジュアン)の『交錯時空的爱恋(時空を超えた恋)』、沈亞(シェン・ヤー)、于晴(ユイ・チン)の全集……こいつはなんだ?星座ってなんだ?すべてのものをぶちまけると、箱の底に一枚の紙でできたキーボードがあった。
キーボードの上に一枚のメモが貼ってある。「ここをひっくり返すだろうと思ってたわ。どうかアルファベットの順番を勉強してください。」
僕は驚愕した。世界中の姉というのは、みんなこんなに狡猾なのか?
そういうわけで、僕は紙のキーボードと電話越しに督促する声とで、一学期を過ごした。
僕「Aの後ろがなんでSで、Bじゃないんだ?」
姉「Aの後ろはS、Bの後ろはN。」
僕「めんどくさくて死にそうだ。」
まる半年、僕は相変わらず、アルファベットがなぜこんなに乱倫なのか理解できなかった。乱倫のものなど、僕のように正直な人間は、決して学ぼうとはしない。
1999年2月7日、夜の11時47分。
僕はまだ駅で待っていた。
なぜなら、姉がその時刻に家に着くと言ったからだ。
結局、1999年2月8日の朝4時30分まで待った。
姉は赤信号を無視した乗用車にはねられた。
1999年2月8日17時48分、僕は北京に駆けつけた。
部屋は一面の真っ白。
天使の翼は真っ白。天国への空間は真っ白。病室のシーツは真っ白。姉の顔色は真っ白。
彼女の全身には管がたくさん差し込まれている。
顔には透明な呼吸器がかぶせてある。
僕は嬉しそうに飛び込んで行った。「はは、もう動けないだろ?」
彼女の顔には微塵の表情もなく、固く目を閉じていた。なぜ、僕には彼女が微笑んでいるように見えたのだろう?
僕の目がかすんだのか、それとも彼女が、僕が隣のクラスのマドンナに書いたラブレターをまた盗んだのか。
そばにいた白衣を着た人が言った。「彼女は話せません。あなたに字を書く力が残っていればいいのですが。」
でも、姉はペンを握れなかった。
こいつは、元々力なんてなかったのだ。
彼女の自転車に乗れば彼女は坂を上る力がなく、彼女と喧嘩すれば彼女はやり返す力がなく、テレビ番組を取り合えば彼女はリモコンを奪い合う力がなかった。
彼女が字を書かなければ、僕は彼女が何を言いたいのか知ることができない。彼女には字を書く力があるはずだと思ったのに!
彼女は僕の答案用紙に母の代わりにサインをしてくれた。彼女は僕の『よい冬休みを』の宿題に作文を書いてくれた。
彼女は僕の連絡帳に名前を書いてくれた。
僕はぼうっと彼女を見つめた。どうして急に力がなくなってしまったのだろう?
僕は彼女の手を握りに行った。
彼女は指で僕の掌を何度か突いた。
1、2、3、4、5、6。
計六回。
彼女が僕を六回突くとは、なんだ?
六六大順?彼女は僕の早い出世を祈っているのか?
六月飛雪?彼女には千古の冤罪でもあるのか?
六神無主?彼女はまた男に振られたのか?
六道輪廻?彼女は聖闘士星矢・冥王編が見たいのか?
僕が必死に推理していると、突然、一群の人々が飛び込んできて、彼女を押して行ってしまった。
僕は一人、この病室に残り、すべての白いものを見つめながら、自分の掌を必死に突いた。
1、2、3、4、5、6。
計六回。
上を一つ、右を一つ、上をもう一つ、下を一つ、上をもう一つ、もう一つ。
僕は必死にキーボードに関する記憶を思い起こした。
一枚の紙のキーボード、半年見つめたそれが、頭の中に浮かび始める。
Aの後ろはS、Bの後ろはN、Cの後ろはV……僕は一つ一つ、このキーボードを叩いていった。
1、2、3、4、5、6。
キーボードが次第にはっきりしてきた。
僕はついに理解した。この六回がそれぞれ、どこを突いていたのかを。
ILOVEU。
涙が目から溢れ出し、ぽたぽたと落ちて、したたり落ちて、はらはらと降りかかった。
1999年2月8日19時10分、僕はついにキーボードの使い方をマスターし、タイピングを覚えた。
しかも骨身に刻んで、永遠に忘れない。
ILOVEU。
僕は廊下にうずくまった。
ずっと後になって、僕はようやく勇気を出して、姉が残したパソコンを組み立てた。
組み立ててから、またずいぶん経って、ようやくあのQQのアカウントを開いた。
たった一人の登録ユーザー。
無花果。
灰色。聞くところによると、灰色なのは、オフラインだからだそうだ。
でも、このアイコンは点滅していた。
僕はそれをダブルクリックした。
無花果は言った。
バカ、私があんたの姉ちゃんよ。
僕は子供のように泣きじゃくった。しかし、どれだけの涙も、永遠に無花果をカラーに変えることはできない。
無花果は永遠にオフラインだ。
もし明日があるなら、子供は昨日に留まる。明日には姉はいない。姉は昨日、Windows98を使っている。
今日になっても、MSNはサービスを終了し、洒落者たちはカメラの前でストリップを踊っている。それでも僕の書斎のパソコンの画面には、五桁のQQ番号が表示されたままだ。永遠にたった一人の登録ユーザー、そしてアイコンは灰色、永遠にオフライン。IDは無花果という。
出産にはいつも一度の陣痛がある。結果として無数の陣痛がある。
愛し合うことにはいつも一度の別離がある。結果として無数の別離がある。
四季にはいつも一度の枯凋がある。結果として無数の枯凋がある。
自転にはいつも一度の日没がある。結果として無数の日没がある。
しかし、無花果は永遠に灰色だ。
胸は張り裂けんばかりに笑いたく、痛みは予想を超え、涙には葬られる場所もなく、悲しみは、心が死に絶えないことに勝るものはない。
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